人間の価値観と繰り返される歴史

人間の価値観と繰り返される歴史

 


人間は、その時代、国、地域、会社、家族構成、性別など、個人によって、

 


立場や状況が異なり、

 


それらの異なるものごとに価値観が作られる。

 


そして、

それらとは、

別に各個人によって、

価値観に個性(特徴)があり、

それを変えるために、

 


幼少期からの教育、洗脳、強制、独裁、宗教、人生の中での経験など様々なものがある。

 


現代の身近なものだと、

インターネット

テレビ

報道

学校教育

宗教

交友関係

家族関係

など…

 


人間の価値観は、

文明を築いて数千年経つ現在に至ってもなお、

 


全ての人間が完全に統一する事は、

出来て居ないかもしれない。

 


どんなに教育や洗脳を施そうが、

人間は、異なる価値観や思想を持ち反発する。

 


それは、恋人、家族、友人、会社、学校などの組織や国など様々な所で起きる。

 


極端な例だと

日本の政治で明治政府、

宗教では、オーム真理教、

侍の武士道、

新撰組の士道など…

 


外国の指導者では、ヒトラーなど…

 


人類でも例を挙げればキリが無い程だろう。

 


もし…

 


人間の価値観や意思が完全に統一出来たとしたらそれは、

 


人間全体としては、

「争いの無い完璧な世界」

では無く…

 


「破滅」

 


ではないだろうか?

 


価値観を統一した時.

 


「他の価値観を持つ者」

強く言えば、

「自分に従わない者」

「自分に合わない者」

など…

 


それは、

統一された価値観を利用して、

他者を攻撃したり、防衛するのであればその内容や規模によって犠牲や被害が出る。

 


そして、

その犠牲や被害は、

統一した価値観の

「根本的な存在やもの」

もしくは、

「それの指導者」

「それらの基準になるもの」

「価値観を決める存在」

などによって正当化される。

 


そもそも、

統一した価値観の前には、

犠牲や被害ではなく、

 


栄光だったり、

必要な事、

当たり前だ、

当然とさえされてしまう。

 


昔で例えるならば、

 


戦争に反対する者は、

非国民であり疎外、処断され非難されるが、

 


逆に賛同して、

 


戦争のために亡くなれば、

「英雄」となれる。

 


その英雄達は、国のため、皆を守るために、死を覚悟して敵に突っ込む。

 


武士道や新撰組の士道不覚悟など…

 


批判、否定したら処罰、糾弾、最悪の場合は、命が奪われる。

 


最近の例えであれば、

 


コロナ禍の中で自粛しない者を批判する。

 


コロナに感染していたにもかかわらず自ら集団の中に入ったり公共交通機関で移動して、感染拡大させた者を糾弾する。

 


感染の確証が無くても不用意な移動でコロナを運び込んでいると思われる存在や外国人などを無差別に非難する。

 


マスクをつけない者に対して、非難する。

 


毎日、真面目に自粛している人は、これらを多少なりとも行っているのでは無いだろうか?

 


現在の価値観では、

 


恐らく、自粛する事が大多数の価値観だと思います。

 


全ての人では無くとも価値観が異なった人に対して、

 


様々な攻撃(否定、非難、糾弾など)を行っているのではないだろうか??

 


ちなみに、

今上げた例を否定や非難している訳ではなく、私なりの解釈で分析した結果を述べています。

 


偏見であったり、不快に思う方、激昂する方もいるかもしれませんが、

 


私なりに歴史や人生で学んだ事を元にして記載してます。

 


今回は、これらの価値観や思想を否定したり非難している訳では、ありません。

 


冒頭でも述べた通り、

 


人間の価値観とは、

生まれた時代、国、環境など様々なもので変化するものだからです。

 


そして、

人間の歴史は、

様々な価値観の中で、

同じ事を繰り返し、

「人間、自然、様々な生き物を犠牲」

にしています。

 


今回この内容を記述したのは、

 


本当に自分の価値観は、

 


「正しい」のか?

 


そもそも「正しい」とは、

 


何なのか…

 


価値観が異なるものを攻撃せずにわかり合う事は、出来るのか?

 


自分自身に問い、

 


そして、

 


もう一度、

 


私自身の中で

 


「価値観」

「正しいさ」

「歴史」

について、

 


考える必要があると思ったからです。

 


このままいけば、

 


人間は、

コロナや様々なウィルス

地球温暖化による気温や海面上昇、サバクトビバッタの猛威、台風、竜巻、地震などの災害

食糧問題

失業者増加

貧困格差

治安悪化

 


など…

 


実害だけでなく、

 


それらを要因とした、

「不安と恐怖」により、

様々な場所で争いが起きる。

そして、犠牲が出る。

 


その犠牲の規模は、

 


人間の総人口が増えたり、

 


科学技術などが進歩すればする程、

 


大きくなっている。

 


しかも、

 


それによる犠牲は、

 


人間だけでは無く、

 


自然や他の生き物も含まれている。

 


この地球に生まれ

 


生きているのは人間だけか?

 


人間単体だけで生まれて、

 


育ち、進歩して来たのか?

 


もっと根本的な事を考えるべきではないか?

 


これからもこの地球で生き、

 


繁栄し続けるためにも、

 


人間同士の調和やこの地球の自然や生き物が必要では無いだろうか?

 


人間の歴史が今まで行って来た事は、

 


自然や他の生き物を犠牲にして、更にに人間自身も犠牲にして、

 


「自ら破滅への道を歩んで来た」

 


のでは無いだろうか?

 


今までの当たり前と思っていた日常は、それらの様々な犠牲の上に成り立っていた。

 


そう思って、

 


それらの犠牲を出さずに生きていくためには、

 


何をすれば良いのだろうか?

 


具体的な考えや行動は、

 


自ずと見えてくる。

 


今こそ人間の積み重ね来た知識と個人の理性や知性をフルに活用して生き抜く事…

 


混沌に乗じて悪業を重ねる存在に、

 


騙されない。

 


この宇宙、地球、生物を生み出した存在は、

 


人間に対して、

 


「最後の警告を述べている。」

 


ノアの箱船

乗れる者

乗れない者

それを分けるのは、

 


「傲慢」か「謙虚」の違いだけだった。

 


しかし、もうノアの箱船は、無い。

 


そして、作る者も居ない。

 


謙虚になるだけでは、済まない。

 


物理的に人間が自給自足出来る技術も持ち宇宙などへ逃れたとしても、

 


「傲慢」である限り同じ事を繰り返すだけだろう。

 


人間を救うためのたった1つの方法は…